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日医工ジャーナル ダイジェスト

Vol.47 No.415 2021.2-3 ダイジェスト

国内における鋼製医療器械の現状と将来への展望

永井 秀雄氏
医療法人若葉会 さいたま記念病院 院長
小林 敬一郎氏
ミズホ株式会社 執行役員 特販事業部 事業部長
日医工/手術用メス委員会 副委員長
金井 しのぶ氏
株式会社マイステック 代表取締役

 

―鋼製医療器械業界はかなり以前から国内製造が危ぶまれていると言われてきました。なぜ、そうした状況に陥っていったのか。その理由をいろいろな方向から考え、今後どのように対応していったらいいのか話し合っていきたいと思います。まず、職人さんと日頃身近に接していらっしゃる金井様からご意見いただけますか。
【金井】鋼製医療器械は仕上げが手作業で行われています。決して機械化できる仕事ではなく、職人的な技術で対応します。こうした技術は他の伝統工芸産業と同様、修業に時間が掛かり、一人前になるまではわずかなお給料で我慢しなければなりません。一方、国内需要を見てみると、手術手技の変化、安価な海外製品の進出などで少しずつ減少していきました。自然、職人さんの数は減っていきます。このことは十数年前から分かっていたことでした。しかし、業界はこのことに対して効果的な手を打ててこなかった。このままでは十数年後には日本から鋼製医療器械製造をする者がいなくなってしまうでしょう。それでいいのでしょうか。本当に需要がなくなっていくならば受け入れるしかありません。しかし、私はこの技術は残していくべきものであり、まだ打つ手はあるだろうと考えています。
―小林さんは今の状況をどのように思いますか。
【小林】戦後、昭和20年代頃から手術件数が爆発的に増えていきました。ミズホも婦人科の鋼製医療器械、整形外科のプレートやインプラントなどを数多く製造しています。しかし、近年では内視鏡下手術の増加により、オープンサージェリー自体が下降線を辿るようになりました。これが需要減少の原因の1つだと思います。

国内におけるUDIの動向について考える
「GS1標準」の重要性認識をさらに進める

植村 康一氏
一般財団法人 流通システム開発センター(GS1 Japan)
ソリューション第1部 部長

―UDIにおいては国際的にGS1のコード体系が採用されています。その内容についてお話ししていただけますか。
 まず、GS1とはグローバルな視点に立った流通システムの標準化、流通システムの効率化・高度化の推進を行う国際標準化機関です。本部はベルギーのブリュッセルにあり、世界110以上の国・地域が加盟しています。当財団も加盟しており、国際的にはGS1 Japanという名称で活動しています。
 GS1標準とはそのGS1が定める識別コードやバーコードのことを意味します。現在、医療に限らず様々な分野においてGS1標準を用いたバーコード表示、トレーサビリティーに関する規制やルール化が世界中で進められています。
 GS1標準の中で最も利用されているのは、商品識別コードの「GTIN(Global Trade Item Number)」です。GTINは1980年代、日本において医療機器の販売包装に対して設定されだしました。GTINはさまざまな情報へのキーとなるコードで、世界中の医療機器の識別が可能です。2000年代に入ると、GTINに加えて有効期限やロット番号も表示可能な一次元バーコード「GS1-128シンボル(以下GS1-128)」、二次元バーコード「GS1データマトリックス」が使用され始めました。
 医療機器へのバーコード表示に関しては日本の医療機器業界が世界に先んじて、1999年からGS1-128での表示を行なっています。その後、厚生労働省の行政通知により表示率が向上しましたが、医療機器は医療用医薬品に比べると医療機関内で使用する単位である「個装単位」への表示率がやや低い状況にありました。また、医療機関が医療機器の管理のために独自のバーコードを導入していたこともあり、医療機関におけるGS1-128の利用は思ったほど進みませんでした。
 ところが、2013年以降の世界各国のバーコード表示規制、国内医療機器業界のバーコード利用促進などにより、数年前から手術室や機器管理室を中心にメーカーが表示したGS1-128やGS1データマトリックスを利用する動きが出てきました。医療機器の個装表示、本体表示、ダイレクトマーキングの具体的な内容については医療機器業界団体からガイドブックが発行されています。

2021年新春スタートの集い 特別講演会
佐藤可士和氏と探る医療のデザイン

佐藤 可士和氏
クリエイティブディレクター
松原 一郎氏
日医工理事/総務委員会委員長





 

―千里リハビリテーション病院のディレクションはどのようなお仕事だったのでしょうか。
【佐藤】私は博報堂でクリエイティブディレクターを務め、独立してクリエイティブスタジオ「SAMURAI」を立ち上げました。最初は小さなオフィスでしたが、自分のフィロソフィーでデザインした自分だけの仕事空間を持つことができました。そこでは、今まで勤めていた会社では感じることがなかった新鮮な感覚を感じたのです。空間にはすごいパワーがあります。空間や環境のデザインによって人の気持ちは劇的に変わる。朝起きたらできるだけ早くオフィスに行きたくなりました。オフィスにいるだけでクリエイティブなインスピレーションが刺激され、次々とアイデアが湧いてきました。
 そうした体験をきっかけに空間をデザインする仕事がやりたいと思い始めました。NHKの番組で今後やりたい仕事について聞かれた時、病院や幼稚園などの空間をデザインしてみたいと答えています。すると、その直後に幼稚園、次いで千里リハビリテーション病院の仕事のお話をいただきました。  千里リハビリテーション病院は10年以上前から現在も関わっているプロジェクトです。千里リハビリテーション病院の橋本康子理事長がお考えになっている病院は、従来のリハビリ病院とは一線を画すものでした。「リハビリは命が助かって急性期を終えた後に行う医療なので、理想としては自宅で行うべきである。患者さんにとっては自宅こそが生活の場であり、自宅という空間でのリハビリが最適だ」というビジョンです。
 しかし、命は助かったがすぐには自宅に帰れない患者さんもいます。そのため、病院でなく自宅でもない、病院と自宅の中間のようなコンセプトの病院を作りたいというのが橋本理事長のお考えでした。理事長を中心にコンセプト作りが進められましたが、病院関係者ですとどうしても既存の病院という意識から逃れられません。そこで私が呼ばれました。外部の人間を入れて、コンセプトを整理し直すことになったのです。
 橋本理事長は疲れを癒す温泉をコンセプトとしてお考えになっていました。昔の湯治場のイメージです。私はそのイメージを膨らませて、「リハビリテーション・リゾート」というコンセプトを提案しました。リゾートホテルに近いイメージです。そして、理事長、病院スタッフとともに具体的な施設内容を検討し始めました。

エンジニアとマネジャーを合わせ持った視点で仕事に臨む

渡辺 智美さん
アトムメディカル株式会社
開発・製造統括本部 技術開発部 機械系1グループ 課長

―現在、技術開発の管理職をされていると聞いています。これまでどのような仕事をされてきたのか教えていただけますか。
 私は入社以来、弊社の主要商品となる婦人科用検診台、分娩台などの開発を行ってきました。最近ではベッドの状態から分娩出来る状態へと速やかに移行できる分娩台の開発を手掛けていました。この商品についてはプロジェクトリーダーとして機械設計から製品発表まで関わりました。現在のポジションになってからマネジャーとしての役割が増えましたが、元々は機械設計担当の技術者です。マネジャー職は勉強中といったところでしょうか。
 今の仕事は、課題解決方法のアドバイスをしたり、レビューを通しての設計内容確認などですね。加えて仕事の振り方、仕事の進め方なども任されています。以前の開発環境は個人の能力に頼った色合いが強かったのですが、チームによる商品開発に変わりつつあります。現在、そのための環境づくりにいろいろ努めています。
 製品開発は製品別にプロジェクト制を取っており、機械系グループと電気系グループとの混合で取り組みます。私の所属する機械系グループでは、中堅クラスをリーダーとしたグループを作り、機械に関する知識を標準化し、皆で共有するといったことを行っています。この活動のグループはプロジェクトの垣根を越えて編成し、時々シャッフルするような環境にあり、そうした交流の中で社員同士が切磋琢磨しています。
―製品開発をするにあたりどのような点に注意を払いますか。
 開発以前に要素技術と要求仕様の精度をどこまで高められるのかがポイントになると思います。開発でつまずく場合、その原因の多くは要素技術の完成度が低かったり、仕様変更により新たな要素を追加した部分です。やはり最初に要求仕様を全て把握し、必要となる技術を確立しておくことが大切でしょう。それでなくても開発中は予期せぬことが発生します。そこを察知するのが、マネジメントの役割だと考えています。