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日医工ジャーナル ダイジェスト

Vol.39 No.384 2013.2-4 ダイジェスト

インタビュー中国の医療機器市場はどのような方向へ向かうのか?

陸春 雲 氏泰州市委員会 常務委員、泰州医薬高新区党務工作委員会 書記

【1992年、鄧小平の改革開放政策により中国国内の経済発展は一気に加速します。その発展の主要目的になったのが国内企業の活性化です。そのために海外企業の誘致がさらに推進されました。私たちが振興発展をのぞむ医療機器の場合も例外ではないと思います。医療機器を発展させるためには、まず外部からの競争を取り入れていかなければと考えています。
中国の医療機器における承認許可は、実はたいへん厳しいものです。医療機器市場のニーズと規模はある程度きまっていますので、販売承認許可を数多く与えてしまうと市場が混乱する恐れがあります。また、生産許可についても多くの企業に与えると、大量生産され価格の暴落、質の低下を招く可能性が出てきてしまいます。中国の承認許可はたいへん慎重に行われているのが実情です。企業誘致を進める私たちの目的は、海外企業がどのようなタイミングで医療機器を販売するのか、どのような医療機器を重要視するのか、を知ることにあります。現在の中国における医療機器の市場規模は、日本とほとんど変わりません。しかし、中国は人口も多いので、将来日本の医療機器が中国市場で発展する可能性はたいへん大きいと思っています。

日本の医療機器の成長戦略はいかに実行されるか!

広瀬 大也 氏内閣官房 日本経済再生総合事務局

―このほど新たに医療・福祉機器産業室長に就任された遠山室長は、前職が製造産業局の素形材産業室長とお聞きしています。これまでのご経験から医療機器産業をどのようにご覧になっていますか。
海外展開は、医療機器と病院とをパッケージにした東九州メディカルバレー、もう 一つは豊田通商株式会社とセコム医療システム株式会社、インドのキルロスカ・グループの3社の共同事業についてお話ししましょう。
東九州メディカルバレーは大分県と宮崎県を「総合特区」として認めたもので、世界的な競争力を誇る血液・血管関連の医療機器メーカーの集積を活かした医療産業の拠点づくりを推進しています。企業と大学が連携して海外の医療従事者を受け入れ、医療機器と病院サービスを一体化した透析や糖尿病のトレーニングを行っています。目的は海外に日本の医療サービスの高さをアピールすることで、機器、技術、サービスの一体化というのが大きな特長です。「総合特区」ですので、海外から来る人達が研修を受け易いように拠点病院以外にも医師、看護師を配置する体制を整えようとしています。研修を希望する外国の高官を招聘するための企画やスケジューリングアドバイス、実際の手続きはJICAの人達が熱心に行ってくれています。
豊田通商とセコムが行おうとしているのはもっと大きな事業で、海外に病院を建設しようというプロジェクトです。場所はインドのバンガロールで、地元中堅財閥のキルロスカ・グループと組みました。セコムは医師、看護師などの医療従事者の確保、豊田通商は病院建設と医療機器の調達、キルロスカ・グループは建設用地の確保という分担です。

取材医療機器産業界への参入、さらに高まる!
第2回ものづくり医療機器産業交流会
東北地区と新潟県が優れた機能要素技術を紹介

菊池 眞氏一般財団法人 ふくしま医療機器産業推進機構 理事長

参加企業を分野別にみると、機械加工7社、受託開発4社、受託製造3社、表面処理3社、光学系1社、その他5社といった内訳で、その特徴もさまざまである。精巧な金型、超小型モータ、プラスティック応用商品、優れたコーティング技術、多品種小ロットの生産体制など、紹介された技術はすぐにでも医療機器業界に取り入れられるものばかりで、展示会に訪れた人達は担当者の説明に熱心に耳を傾けていた。
来場者数は800余名、名刺交換数は約600件、有望案件は60件にのぼった。数の上では前回に及ばなかったが、アンケートをみると交渉の内容が格段に進歩していることがわかる。今回、複数回参加している企業を取材することができたが、やはり展示参加の回を重ね、医師など病院側の人達と話す機会が増えてきて、はじめて求められるものがわかってくるという。第1回目に取材した企業の方に話をうかがったが、どうしたら医師の方々に目を留めてもらえるのか展示の方法まで考えるに至ったとのこと。2年という時間は確実に企業を育てているようだ。

読み物日本の医療機器業界の足跡
第2回 発展の発端となった大正時代

大正3年(1914年)、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であったフランツ・フェルディナンド大公の暗殺事件に端を発した第一次世界大戦は、ヨーロッパを中心に瞬く間に広がっていった。この戦争はドイツ・オーストリア・オスマン帝国(現トルコ共和国)・ブルガリアからなる中央同盟国とイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国との対立で、イギリスと同盟を結んでいた日本は連合国側として参戦した。戦場がヨーロッパであったため、日本は爆撃などの直接的な被害を受けなかったが、敵となった国の工業製品は当然のことながら輸入が止められた。医療機器も例外ではなく、当時その大半をドイツに頼っていた日本は、医療機器の国産化を考えざるを得ない状況になっていく。
こうした社会的な背景を持つ明治末期から大正初期は、同時に歴史上に名を残した医学者、科学者が次々と輩出された時代でもある。タカジアスターゼ(消化酵素)を創製した高峰譲吉、サルバルサン(梅毒治療薬)を発見した秦佐八郎、黄熱病の研究で知られた野口英世、オリザニン(ビタミンB)を創製した鈴木梅太郎など枚挙にいとまがない。北里柴三郎が私費を投じて北里研究所を創立したのも、慶應義塾大学に医学部が創設されたのもこの頃である。一方、医療機器業界においても優れた国産品が出現するようになった。その代表的なものに、いわしや松本器械店の顕微鏡「エム・カテラ」、武井器械店の膀胱鏡がある。